03


「ごめんね遊士。貴女の右目が見えないのはきっと私のせい…」

布団の中から伸びてきた白く細い指先が、布団の側に座る小さな子供の髪に触れる。

その指先が子供の背に流れる髪を上から下へゆっくりとすいていく。

―ははうえ?

「恨むのなら私を恨んで遊士。…でも、貴女が産まれて来てくれて私は嬉しい。貴女は私の宝物よ」

陰りを帯びていた表情から一転、優しく柔らかい眼差しが子供へと向けられた。

―たからもの?遊士はははうえのたからものなの?

「そうよ。母上は遊士が大好きで、もしかしたら父上より上かも知れないわね」

くすりと悪戯っぽく笑い、髪をすいていた手で子供を抱き締める。

―わたしもははうえだいすき!

「そう?ありがとう。遊士は良い子ね」

ふわりと花が開いたように綺麗な笑みを浮かべた母上は、病気で臥せっている様には見えなかった。


その頃の遊士は伊達家の姫として恥ずかしくない装いと振る舞いをしていた。

しかし、

それは母の死と自らの立場を自覚した時を境に一変する。遊士は悲しむ間もなく、まだ幼い子供ながら、女ながらに刀を手に取った。

大切なモノを守る為に。







どこか重くなった空気に遊士は居心地悪そうに身動ぎ、勤めて明るい声を出す。

「まぁ、こんなのどこにでもある話だし。気にしないでくれよ」

過ぎたことを話してもどうにもならないし、政宗達に余計な事を教える必要もないと思い、遊士はそこで話を畳んだ。

ちょっと話しすぎたな。

難しい顔して聞く政宗と小十郎に遊士は失敗した、と心の中で舌打ちしたい気分になる。

「…どこにでもある話?たしかにそうかも知れねぇ。それに俺達は当事者じゃねぇし、今ここで何を言っても意味はない」

意図を汲み取ってか、肩を竦めて政宗がそう言い、遊士はどこかホッと安堵の息を吐いた。

変に心配をかけたくないし、同情も憐れみも要らない。この道を選んで後悔した事は一度もないんだから。

「けどな、遊士」

「ん?」

すっと正面から右手が伸びてきて遊士は意味が分からず首を傾げる。

「それでも一つだけ言えることはある」

その手はポンと頭の上に置かれ、くしゃりと遊士の髪を優しく撫でた。

「よく頑張ったな」

今のお前を見ていれば分かる。きっとどんな場面でも弱音を吐かず毅然と前を見据えて歩いてきたんだって事が。

いつもは鋭い隻眼が、今は鳴りを潜め、遊士を見つめた。

「――っ!?…な、何言ってんだよ…?頑張ったも何も…オレは、別に…」

柔らかい光を帯びた眼差しに、遊士は目を見開き、酷く狼狽えた。

っ、何だこれ?顔が熱い…。無性に恥ずかしい。どうしよ…。

そして、隣に座る彰吾に助けを求めるよう視線を投げる。

「彰吾、お前もな」

「いえ、俺は何も。ただ遊士様の側に居ただけですから」

ふっ、と目元を和らげて彰吾までもが遊士を見た。

「な、何だよ二人して!あっ、小十郎さんまで!!」

遊士はほんのり頬を染めて、三人を睨み返す。

重苦しかった場はいつの間にやら穏やかな空気に包まれていた。

成長するにつれ、無くなった、誰かに褒められるという事。

それがこんなにも嬉しいものだったとは。

「っ、オレとしたことが。平常心だ、平常心…」

すたすたと足早に、政宗の部屋から遠ざかる遊士の耳はまだ仄かに赤い。

「では、失礼します」

その後ろで彰吾が軽く頭を下げ、障子を閉めた。

確かに、遊士様が始めに言っていた様に、ここへ来た意味はあったな…。

顔を上げ、数歩先を足早に歩くその背に彰吾は柔らかな笑みを溢した。

「照れてる姿なんて久し振りに見たな」

兄妹の様に過ごしていたほんの僅かな時が思い起こされ、彰吾は優しげに瞳を細める。

貴女は伊達家の当主である前にまだ十六の女の子で、

そして、

いくら刀を手に戦場に立とうとも俺にとって貴女は仕えるべき主君の前に、守るべき女の子に違いない。

「まぁ、そんなこと絶対に言えないけどな」

言えば目に見えて怒られる事は確実で。

ha、何くだらねぇ事言ってんだ。お前は竜の右目だろ?オレは背を預けた覚えはあるけどな、オレを守れと言った覚えはねぇ!

簡単に思い描ける姿に彰吾は苦笑して、途中で足を止め、振り返った遊士に追いつく為に足を進めた。







遊士と彰吾が退出した室内で、政宗は文机に向き直る。

「まさか遊士様があのような複雑な事情を抱えているとは知りませんでしたな」

再び筆をとった政宗に小十郎は座布団を片付けながら言った。

「あぁ、…遊士は多分俺達に言うつもりはなかったはずだぜ」

小十郎に返事を返しながら、筆はすらすらと紙の上を滑る。

「アイツは意外と周りに気を使うからな。俺達に余計な心配をかけさせたくなかったんだろ」

その後ふと、赤くなり狼狽えた遊士の姿を思い出し、口元が緩む。

「遠慮なんかしねぇで俺を頼れば良いのにな」

座布団を片し、政宗の側に戻ってきた小十郎は政宗の認(したた)めている書を見て、決めたのですか?と口を挟んだ。

政宗はその問いに頷き、筆を止める。

「これが最善の策だ。利害は一致してる事だし、民に被害がいくのは俺も本意じゃねぇ」

「では…」

あぁ、と墨が乾いた事を確認し畳む。

それを小十郎へと手渡した。

「武田と上杉、伊達はこの同盟に加わる」


第六天魔王、織田 信長を討つ為に。




[ 60 ]

[*prev] [next#]
[top]



- ナノ -